面接官「命とはなんですか?」←超カッコよく返せ
1 名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日: 2013/11/28(木) 18:04:35.37 ID:ydonJNCm0
古代から多くの人々が、生命とは何なのか、ということについて様々に論じられてきた。
自然哲学には自然哲学の生命観があり、宗教には宗教的な生命観がある。
現在、一般的・日常的には、生きものが生きている状態を指して「生命を持っている」「生命を宿している」と呼び、
文脈によっては非物質的な魂のようなものを指す場合もある。何が「生きている」かを考える難しさを示す実例にHeLa細胞がある。
これはヘンリエッタ・ラックスというアメリカ人女性の子宮がん細胞を元にしたヒト細胞であり、培養され世界中の研究所に分配され試験に用いられている。
ヘンリエッタ個人は既に亡くなったが、彼女由来の細胞は現在でも生きている。ここから、生命の基本的活動が細胞である事、
そして「生きている」状態には明瞭な線引きができないさまざまな段階が存在すると考えられる。
現在のところ、我々人類が知っている生命は、地球上の生物のみであるが、これらのすべての生物は同一の先祖から発展してきたと、現代生物学では考えられている。
その理由は、すべての地球生物が用いるアミノ酸が20種類だけに限定され、そのうちグリシンを除き光学異性体を持つ19種類がすべてL型を選択していること、
またDNAに用いる核酸の塩基が4種類に限定され、それらがすべてD型である事である。
現在知られている地球上の全ての生物は炭素をもとにしているが、我々が地球以外での生命の形を知らないだけという可能性も指摘されることがある。
理論上は炭素以外の物質を元とした生物も考えられうるのである。化学プロセスと生命現象が不可分なものであるかについても、さまざまな議論がある。
21世紀初頭の現在でさえ、哲学、生物学双方の分野で、生命の定義は非常に困難な問題である。
生命とは何らかの過程を意味するものであり、純粋な物質というわけではないからである。
生物学の教科書などにはしばしば“生命と非生命を分ける属性のリスト”などといったものが掲載されているが、
そういうリストに挙げてある概念同士は重複して混乱しているし、おまけに往々にして著者ごとに関心領域が異なることの影響をうけて
教科書ごとにリストの内容が異なってしまっている。また、哲学者や生物学者の中には、生命を定義する必要など無い、
生命というのは自然の事実なのだから、と述べる人すらいる、といったことをBruce Weberは指摘した。
生物学では、生物の示す固有の現象を生命現象と呼ぶ。生命とは、その根元にあるものとの思想があり、
生気論もその一つ(あくまで一例)だが、現在の生物学では概して具体的な生物と生命現象を論じることはあっても、生命そのものを題材とすることはほぼない。
現代生物学では、生命を論じると言っても、生物を論じることにほぼ限定されているのである。ただしその範囲には若干の問題がある。
生命現象には様々な側面があるが、一般に生物学では、根本的な生命の定義に関わる部分は、その内部での物質交換と外部との物質のやりとり(代謝)、
および同じ型の個体の再生産(遺伝と生殖)にあると考えられている。また、そのような性質を持つ最小の単位が細胞であるので、
細胞を生命の最小の単位と見なし、それから構成されるものに生命を認める、というのが一般的である。
なお、植物の種子などのように、著しく代謝活動が不活発な状態でも代謝活動の再開が見込める場合には生きている、と呼ぶ。
ウイルスが生命を持つのか、持たないか、については長年議論がある。増殖はするが代謝を一切しない。
ところが、ウイルスやウイロイドなどの存在は判断が難しい。ウィルスを生物とするか無生物とするかについて長らく論争があり、いまだに決着していないと言ってもよい。
あらゆるものに命は宿っており、使命を持っているとする考え方であり、寿命が尽きても新たな命を育むと考えられている。
この様な場合には、「魂」と同様に用いられている。狭義には、生物の根源である生命と同義である。
すなわち、命とは、多様で奥深い意味を持つ概念であり、生物の生きる力・期間、生きていく大もとの外に現れる働きのもとであると言える。
小林製薬 命の母
- 関連記事
-